こころのふるさと 伊勢の思い出募集

「こころのふるさと 伊勢の思い出募集」へ沢山のご応募を頂きありがとうございました。
素敵な伊勢の思い出には約1600件のご応募があり、その中から特賞1本、本賞5本を発表するとともに応募いただいた中で、伊勢市及び伊勢市観光協会がよかったと思ったジーンと来た、思い出111選を掲載させていただきます。

また、伊勢の産品セットが当たるキャンペーンにつきましては、厳正なる抽選の上、ご応募いただいた投稿の中から当選者が決定しました。
2月中に、当選者の方への商品の発送を予定しております。
(※特賞・本賞以外の下記掲載の思い出掲載者は、抽選で当たる伊勢の産品セットの当選者とは異なります。)

皆様からいただいた伊勢の思い出は、親子の絆、夫婦の絆、友達との絆など、人と人とのつながりの温かさや世代により引き継がれる思いが詰まっています。
涙あり・ほっこりあり。さまざまな伊勢の思い出をご覧ください。

伊勢の気持ちを伝える動画~伊勢でおもてなしを担う人々の思い~を
聞き取ったインタビュー動画です。
今度伊勢に来る前にぜひご覧ください

動画を見る
  • 特賞 すごくジーンときた賞

    母が使っていた化粧台からハンカチに包まれた真珠のペンダントがでてきた。目頭が熱くなり目を閉じると、瞼の裏に旧友達と訪れた伊勢の景色が浮かんだ。私が伊勢を訪れたのは小学校の修学旅行、三十年も前のこと。
    旅行には少しのお小遣いを持っていくことが許されていて、私は母へお土産を買った。真珠のペンダント、500円。小学生の目には、それが世界一素敵なペンダントに見えた。
    あれから三十年。目の前にあったのは、チープなチェーンの先に笑ってしまうくらい小さな真珠が一粒。このおもちゃのようなペンダントは、母の目にどんな風に映ったのだろう。もう一度逢えるなら聞いてみたい──。

    滋賀県 小林さん(41)

本賞 心ゆさぶられた賞

  • 強い意志を持った女性に。そんな願いを込めて私は伊勢子と名付けられた。しかし私が南伊勢町に嫁ぐとなると態度は一変。漁師なんか許さないと父は大反対した。
    そんな父との再会は三十年後。民生委員さんから父が危ないとの連絡を受けたのがきっかけだ。病床の父は私を見るなり真珠の指環を差し出した。それはかつて伊勢市の宝石屋で買ったものだった。
    「伊勢子の真珠婚式に」私は嬉しくて涙が止まらなかった。名前は父からもらった最初のプレゼント。そしてこの指環は最期のエール。幸せになれよ。これからもずっとな。陰ながら応援する父の声が聞こえた気がした。

    埼玉県 和田さん(63)

  • 私は父と母へ銀婚式祝いで旅行に誘った。行先は母が選んだ伊勢。伊勢神宮を参拝したりおかげ横丁を楽しんだ。その後、夫婦岩まで足をのばした。夕日に照らされた夫婦岩は安らかに堂々と私の目に映った。
    父と母の夫婦もこれくらいドンとしているなぁと感じた。母は数年後癌でこの世を去った。父は仕事と慣れない家事を両立した。そしてある日ぽつりと言った。
    「伊勢志摩へいきたいなぁ」と。懐かしいあの日みんなで歩いた道。夫婦岩に着いた時父は静かに涙をこぼした。母の笑顔を思い出したのだろう。あの日と同じ夕日は優しく父の背を照らした。まるで母がお父さんありがとうと言っているように。

    大阪府 生越さん(41)

  • 修学旅行で行くはずだったのですが、私は高熱が出てしまい残念ながら行けませんでした。
    それを不憫に思った父が、その年の冬休みに連れて行ってくれたことを今でも懐かしく思い出します。残念ながら父は50歳で他界しました。
    父との思い出と言えば、それが1番心に残る思い出で、月日が経ち私ももう50歳を超えて父の年齢を超すほどになってしまいましたが、広かった伊勢神宮とおぼろげですが緑がたくさんで砂利道を歩いて行ったことを思い出します。また久しぶりに伊勢神宮に行きたいです。

    大阪府 正木さん(51)

  • 二人の息子たちの小学校の修学旅行は伊勢・志摩。初めての学校からの一泊旅行にはじめてのまとまったお小遣いできっとわくわくしたことでしょう。そのお小遣いで家族にもお土産を買ってきてくれました。
    「伊勢・志摩は真珠で有名だよ」と長男は私には真珠(もちろんおもちゃ)のブローチ。二年後の次男の修学旅行では、真珠(もちろんおもちゃ)の指輪。私はジュエリーやアクセサリーといっしょにその二つを並べて大事にしています。
    30年ほど経ち息子たちは独立しましたが、その二つの真珠はわたしにとっては本物以上の宝物です。折に触れてその二つの眺めては当時の色んなことを思い浮かべています。

    兵庫県 小西さん(64)

  • 小学校の修学旅行で伊勢に来た時のことです。おかげ横丁で班で自由行動をすることになっていて、美味しいご飯を食べた後、集合場所に戻る時でした。
    私は急にトイレにいきたくなったので、トイレを済ませて集合場所に戻ろうと思いました。その当時はどこから来たか分からず焦ってしまい、既に集合場所の近くだったのにも気づかず、反対方向に歩いていました。
    その時、近くにいた方が「どうしたの?大丈夫?」と声をかけてくださり、わざわざその場所まで送ってくれました。伊勢の方々の優しい気持ちが、私はとても嬉しかったです。

    大阪府 宮田さん(14)

夫婦の絆

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    夫と二人で行った初めての伊勢。お天気にも恵まれ、伊勢神宮での神々しい陽の光と清々しい空気が忘れられず。これからもお互い元気で夫婦旅行重ねたいと改めて思えた旅。
    2回目は結婚間近の娘と。なかなか母娘では旅行に行けなくなるのかなと思いながらの伊勢神宮。やはり神聖な空気を感じる場所。
    道開きの猿田彦神社にも寄って、各所で娘の幸せを願う。猿田彦神社では今まで見たことのないような神々しい陽の光を浴びて満たされました。3回目はどんな伊勢旅になるのか楽しみです。

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    伊勢の二見興玉神社はまだ今の旦那さんと付き合ってる時に伺わせて頂き、おみくじをひいて夫婦岩を見させて貰いました。帰って来ておみくじを見るとそこには今居る人が最愛の人だと書いてあり、その一年後に結婚して、また神社に御礼に伺いました。
    その後、少しして妊娠が分かり、息子を授かりました。息子が生まれてからまた夫婦岩に伺わせて頂き御礼をしました。私達家族にとっては伊勢は特別な思い出と巡り合いの土地になってます。これからも毎年家族でお邪魔します。

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    コロナ前の結婚30周年に、夫婦で伊勢神宮の内宮宇治橋から昇る朝日を見に行きました。多くの方がこられていて、朝日とともにおおきな歓声があがりました。
    とても美しく心が洗われるように思えて思わず手を合わせていました。またコロナがおちついたら、伊勢をゆっくりと訪れてみたいと思います。

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    結婚記念日に夫婦で伊勢志摩スカイラインの山頂の展望台にある足湯で温まりながら絶景を堪能しました!夜には伊勢海老を食べてとても幸せな時間でした!

  • 20代のころ、結婚したてでしたが月のうち半分は三重県に出張に行っていました。妻に寂しい思いをさせていましたが、出張先が休みの時は新幹線で来てもらい、伊勢神宮や真珠店に連れて行きました。初めて真珠の指輪を買ってあげましたが、今でも大切に使っています。

  • 妻と一緒なってから初めての旅行が伊勢でした。仕事が忙しく10年以上たってからの旅行でしたが、妻は愚痴一つこぼさず家を守ってくれた細やかな御礼でした。
    妻が行きたいと言っていたお伊勢参りは内宮も外宮にも参拝出来ましたし、ミキモト真珠島を観光して真珠のネックレスをブレゼントする事が出来ました。

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    妻と付き合っていた頃、デートで行った赤福。赤福餅が大好きで伊勢に行くたびに赤福には立ち寄っていました。結婚して子供ができ、赤福餅を食べられる年齢になったので、家族で食べに行きました。そんな特別な日の一枚。娘は一皿ペロリと食べて、おかわりもしました。私や妻に似て、赤福餅が大好きみたいです。

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    旦那と付き合いだした頃から初詣は伊勢神宮に行っています。伊勢神宮の門の前で必ず同じ場所で写真を撮っていますが写真を見返すと初めて撮った時は初々しく、2年、3年と経つうちに旦那との仲が深まっていく写真になんか胸があったかくなります。
    そして妊娠や初めての子供との初詣写真など家族の思い出が写真に残っていてこれからも同じ場所で家族写真を撮っていきたいなと思いました。

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    当時、一緒に行った彼氏と夫婦になりました。
    夫婦になった後、持病が悪化したり、流産したり、様々な出来事がありましたが、夫婦岩のようにいつまでも一緒にいたいと思います。

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    2018年の春、伊勢にて主人にプロポーズされました。プロポーズの日から、さかのぼること7年前、東日本大地震が起こった日、まだ付き合う前だった主人と伊勢に出かけていました。帰りのサービスエリアで地震のニュースを見ました。お付き合いをするか迷っていた当時、隣に当たり前にいる人と、このまま会えなくなることもあるんだなと思いました。
    一生一緒にいたいのは、やはり主人だと思い、告白し付き合うことに。それから毎年お伊勢参りへ。わたしたち夫婦を繋いでくれた伊勢に感謝しています。

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    夫婦岩に行ったのにめおチューのイベントやっていたことを翌日のニュースで知った私たち。
    旦那は元アメフト選手で、硬派な人なので、人前で叫ぶのは無理だろなと思ってました。でも、ニュースで奥さんたちが嬉し涙を流してたよと伝えたら『来年、行ってみる?』と。
    いつも、私の気持ちを汲んで喜ばせようとしてくれて本当にありがとう。叫ばなくても耳元でコソッと教えてくれてもいいよ。

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    我が家から伊勢までは車で2時間の距離です。結婚し、妊娠して初めて伊勢二見に泊まり旅行に行きました。双子妊娠で生まれたら中々旅行もままならないのと、妊娠中に鮑を食べると目の綺麗な子が産まれると聞いたので伊勢にしました。
    妊娠8ヵ月の大きなお腹を抱え主人と2人で、伊勢神宮で安産祈願をし二見に移動。夫婦岩近くの老舗旅館に宿泊しました。鮑も頂きましたが、牡蠣がとても美味しくその味は忘れられません。つい昨日の事の様に思いますがあれから22年。
    双子の男の子は今年から無事就職でき大人の仲間入りをしました。私にとって伊勢とは子供達の健康を願う地です。

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    今の主人と出会って初めてデートした場所が伊勢でした。
    津駅前で待ち合わせ、伊勢神宮や伊勢シーパラダイスと楽しい時間をすごしました。
    その時は結婚するとは夢にも思っていませんでしたがとんとん拍子で翌年結婚、津に五年間住み、こども二人に恵まれて事ある事に伊勢に遊びに行きました。
    今もふと伊勢の思い出がよみがえります。

  • 主人と結婚してすぐの頃、私達夫婦と主人の母で伊勢へ旅行に行きました。伊勢神宮と夫婦岩に行きたい事を旅館の人に話すと、参拝の仕方を丁寧に教えて下さり、地元の方がお伊勢さんを大切に思っている事が伝わってきました。夫婦岩も神々しく、私達夫婦もこの岩のようにと誓ったものです。
    あれから25年、残念ながら主人の母は今年の6月に他界してしまいましたが、もうすぐ銀婚式を迎える私達です。あの頃の気持ちを忘れず、これからも夫婦寄り添い歩んでいきたいと思います。

  • 幼い頃からお伊勢さん詣でや二見ヶ浦の話を祖父からよく聞いていたので…当時はグアムやハワイへの新婚旅行が流行ってましたが、真っ先に三重県を旅先に決めました。今も伊勢神宮のあの神々しい雰囲気…そこで食べた赤福餅の美味しかった事!
    筏が浮かぶ英虞湾の美しさは何十年経った今も鮮明に覚えています。タクシーの運転手さんが是非にとおすすめしてくれた、鳥羽の漁師料理の「てこね寿司」の味は絶品でした。還暦を目前に…機会があったらもう一度行ってみたいなと思っています。あの時ミキモトで買ったパールの指輪をつけて……。

親子の絆

  • 伊勢という文字を目にすると胸がジーンとなる。20年前、認知症の母を松坂の老人施設に入所させてもらった。色々なイベントがあり、お伊勢さんにも出掛けた。車イスに乗った母と伊勢神宮に向かって手を合わせおかげ横丁へ。
    昼食は伊勢うどんとてごね寿司。母とこうして来られるなんて、と帰り道涙した。コロナ禍になり施設での面会さえも難しいと聞く。あの青空、清んだ五十鈴川、私は忘れない。

  • 何故か3、5、9月に母娘でお伊勢参りをするのが恒例のデートでした。車での道中も近況を話す良い時間で、「うんうん」と頷きながら寝ていくのも見慣れた母の姿です。
    お伊勢参りも順ルートで一緒に歩き、お腹が空けば伊勢うどんを食べ、「家用だよ」とまた伊勢うどんを買う。自由な母と、自由な時間。今は離れていますが「スーパーに伊勢うどん売ってたんだ、やっぱり美味しいね」と連絡が来るとあの旅を思い出してくれる嬉しさと、また連れて行ってあげたいなと母を恋しく思います。

  • 伊勢との初めての出会いは幼き日の白黒写真に残る。二見浦をバックに亡き父が撮るレンズを眩しそうに覗いている。小学校の修学旅行で初めて食べた生姜糖の味。ドライブデートの夫婦岩。我が子と歓声を上げた歴史テーマパーク。心洗われるお伊勢参り。人生の折々に何度も訪れてきた伊勢は遠方の友人のようだ。たまの出会いがうれしく、すぐに旧交を温めることができる。
    昨春、子どもが独立し、夫婦二人の暮らしになった。今まで以上にゆったりした時を過ごそうじゃないか。伊勢よ、これからも良き友でいてほしい。

  • あれは2年ほど前、コロナが流行する前の最後の親子旅でした。両親たっての希望で伊勢神宮に行くことになった私達。しかし敷地は思ったよりも広大で、足の悪い父は、なかなか思うように歩くことが出来ませんでした。もっと快適に過ごせるように、ああしてやれば良かったこうしてやれば良かったと、今思い出しても胸がチクリと痛みます。
    あれから親子での旅行は行けていません。伊勢の神様、どうかコロナが収束しますように。そしてもう一度、私にリベンジのチャンスを。両親に快適な旅をプレゼントしてあげたいのです。

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    念願の伊勢神宮でお参りをして、親のために初めて電動車椅子を使いました。離れて暮らしており、帰省中には見せない、のびのびとした親の笑顔が印象的でした。
    年老いた親の笑顔を守っていきたいと再認識できました。また親子で伊勢神宮を訪れ、笑顔溢れる時間を過ごしたいです。

  • 高齢の母がずっと行きたいと願っていた伊勢の旅。実行できるうちにと昨年母娘二人旅を決行。
    子どもの頃に訪れたという伊勢神宮の景色を見て涙した母。そして伊勢うどんを食べておいしいとまた涙。
    すっかりなくなった食欲が柔らかい伊勢うどんのおかげで戻ったようで、おいしいものをたくさん食べて大満足の旅になりました。

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    定年を迎えた11月末、娘たちがお伊勢参りに「お疲れさま、接待旅行」ヘ連れて行ってくれました。当日のお昼ご飯は、お伊勢参りには幾度となく訪れていましたが、一度も入ったことのない外宮参道の「豚捨」でした。
    そこで食したのは「ビフテキ丼」!お肉を口に入れた瞬間、美味しさがいっぱいに広がって思わずフッ!と笑みが溢れてしまいました。そのビフテキ丼の写真です。我が娘たちよ!ありがとう!父は幸せだ!!

  • 四十年前、夫との結婚に反対された。女手ひとつで育ててきた母にとってあまり裕福でない夫との結婚は許せるものではなかった。
    嫁ぐ朝、うしろめたい気持ちで伊勢神宮を参拝するとなぜか母が追いかけて来た。
    「これ持ってけ」
    差し出されたのは色褪せた着物。そのまま母は参拝もせずに立ち去った。こんな時「おめでとう」くらい言ってくれたらいいのに。頑張れよと肩を抱いてくれたらいいのに。だけどぶっきらぼうな愛情が沁みて仕方なかった。
    呉服は五福。
    この着物は母の祝福でもあり、娘の幸せを願うエール。母ちゃん、絶対に幸せになるよ。神社をあとにする背中にそう誓った。

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    2020年コロナ禍の真っ只中。
    第二子を里帰り出産で帰省中の長女、近くに嫁いだ次女の第一子出産を控え、孫守りに明け暮れた一年でした。
    時間がある度に鳥羽マリンターミナルへ。フェリーや船を見せに行き楽しんだ貴重な時間でした。
    近場で想い出作りができる自慢の伊勢志摩、唯一の場所です。

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    父の実家へ帰省するときに必ず立ち寄る、不思議で特別な場所。それが子供の頃に抱いていた伊勢神宮への印象でした。凛とした空気に包み込まれた雰囲気は壮大な物語の中に入り込んだようで、緊張しながらも安心する気持ちを今でも覚えております。
    両親と繋いだ手を頼りによちよちと参拝へ向かう小さな足取りは、歳を重ねるごとに両親の歩幅に合わせるようになり、ゆっくりと深呼吸をして神聖な参道を進むことで人生の岐路に立つ場面でも幾度となく勇気をいただきました。
    お伊勢さん、いつの日か家族と再び訪れることができたときは変わらない優しさで迎えていただけたら幸いです。

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    いつもは車で行くお伊勢参りですが今回は徒歩と電車とバスとフェリーの日帰り旅を楽しみました。
    今回は「呑む」と心に決め(いつも夫が呑むので私が運転手)フェリーの中から飲み始め、外宮参道でビールの飲み比べをしたり内宮のお参りの帰りにおかげ横丁で飲み、お伊勢参りには必ず寄る赤福本店で出来立ての赤福を食べました。めちゃくちゃ楽しめました。
    亡き母とまた来たかった。私はずいぶん太ってしまったけど子供の頃お伊勢参りに母と行った唯一の写真です。同じようなポーズで撮ってみました(笑)

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    母と2人でいつも伊勢へ行きます。足の悪い母も伊勢神宮へ行くとゆっくりながらも歩きます。砂利道を歩くと足の裏が刺激されて健康にいいね!など、毎回同じ事を話しながら、2人で歩きます。普段なかなか一緒に歩く事がないので私達にとって、とても素敵な時間を伊勢神宮で過ごさせてもらってます。
    そして、木々から、マイナスイオンを浴び沢山歩きとても健康になった気になります。赤福は必ず行き冬の時期になると、赤福ぜんざいを1人で2人前食べます。73歳の母も先日2人前食べました。甘すぎず小豆も美味しく餅も美味しい!これを食べなければ伊勢を去れません!

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    毎年欠かさずお参りに行っていたお伊勢さん。
    妊娠中に実家の母が安産守りを送ってくれ、無事に娘を出産しました。しかし、生まれて間もなく新型コロナウイルスの蔓延。
    なかなかお礼参りに行くことができず、今秋ようやく念願が叶いました。
    泣いてばかりだった小さな娘が、宇治橋から正宮まで拙いながらも一生懸命、自分の足でトコトコ。手水舎では一丁前にお清めをしていました。
    「おかげさまで無事に生まれました、元気いっぱいに育っています」とご報告ができました。

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    数年前、憧れだった伊勢へ家族旅行しました。伊勢神宮の前に、まずは二見興玉神社で参拝をする事に。真冬で震えながらも、どっしりと構える夫婦岩や打ち寄せる波の景色に感動し、私はこっち見て!と呼び掛けました。しかし父だけ現れず、どこへ行ったのかと思ったら二見かえるをじっと見ていたのです。
    そして「懐かしいなぁ。小さい頃、よくこうしてお前をおんぶしていたんだぞ。」と笑みを浮かべていました。
    「夫婦岩そっちのけなんてお母さんに怒られそう…」と思いつつも、私も懐かしい気持ちになり心が温かくなりました。大切な記憶を思い出させてくれた伊勢。また家族そろって訪れたいです。

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    息子を病気で亡くしていて夫婦二人になってしまい寂しく過ごしていましたが、こんなんじゃだめだと、3人で行ったことがあった伊勢神宮にお参りに行きました。
    参道を歩いている途中見上げると、真っ青な空に雲が。天使の羽のように見えて、息子も一緒にきてくれたように思えて、すごく感動したのを今でもよく覚えています。生きていたら二十歳の息子。また、伊勢神宮にお参りに行き、どこかで美味しいお酒でも飲めたら嬉しいです。

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    今44歳です。自分が小さい頃から正月は伊勢神宮に行ってます。彼女と付き合って結婚して子供ができた今でも行ってます。もう30年ぐらい正月のイベントです。今では子供達から今年も伊勢にいくの?って聞かれるようになりました。
    いつも楽しみは手こね寿司です。子供達も小さいけれど楽しみにしてます。子供達も大きくなって皆いろんな道を進みますけど365日の1日だけは皆で伊勢に行こうって約束してます。

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    5年前に亡くなった父との思い出。
    父とは色々な所へ行きましたが毎年恒例のお伊勢さんの旅行にとても思い入れがありとても大事な場所であり一生忘れる事のないお伊勢さんです。

  • 父と母、妹と家族旅行で行っていた伊勢。
    20歳になった年の旅行で、夫婦岩をみながら父がふと言った。
    「この場所はお前が生まれて1歳の時に初めて母さんと旅行にきた場所だよ。この夫婦岩の前で写真とってな、ここは変わってないな」
    「あれから20年か、早いなぁ-。来年は成人式か、大きくなったな。全然覚えてないだろ??」
    父はそういって、笑った。普段厳しい父の、優しい一面を垣間見た。
    20歳のお祝いにと初めて白い真珠のネックレスをプレゼントしてくれた。伊勢がよりあたたかく特別な場所に感じた。

  • 伊勢には、昭和34年の伊勢湾台風の直後に、小学校の修学旅行で初めて行きました。伊勢神宮へ行く途中、木々が台風で倒れていたり、五十鈴川の水ににごりがあったりして、すさまじい爪痕がいたる所にありました。
    宿泊の翌日は、夫婦岩の日の出を見に行きました。「幸せを祈るのだ」と先生に言われていたので、当時病弱の母親が元気なりますようにと、周りの友達に気づかれない様に何度も何度も心の中で大きな声を出して、神様に届いて欲しいと思いを込め、お祈りをしました。伊勢という地名を聞くと、台風、神様への幸せのお願いなど、初体験が沢山あった思い出が瞬間によみがえってきます。

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    毎年、私が幼い時から家族で旅行に行ってました。
    自分も結婚し子ども2人に恵まれました。近鉄で行く伊勢旅行が大好きだった実の両親が亡くなりましたが、変わりに自分の家族と心の中に居る両親と共に毎年伊勢神宮を始め色んな場所を探して楽しく旅行に行ってます。
    そして沢山の思い出と写真を残していきたいと思ってます。

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    息子が就職して付き合っていた彼女と京都で暮らしていた頃。
    私は、お伊勢参りを計画し一人で行くのも、と二人を誘ったが、息子は仕事で彼女と二人でお伊勢参りをする事に。
    私は明るくて可愛い女性と思って、早くハッキリすれば良いのにと思っていた。
    彼女と二人、たわいも無い話をしながら、二見ヶ浦、外宮から内宮 おかげ横丁。夕方遅く息子と合流、三人で食事。楽しい思い出です。
    1年前、二人は結婚して、今年娘が生まれ子育てに頑張っています。これもお伊勢さんにお参りしたおかげでしょうか。幸せな日々を送らせて頂いています。

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    母方の祖母が生前みんなで旅行に行きたいと言いながら叶わなかった三重旅行の話を母から聞き叔母2人に声をかけ数年前から毎年三重に訪れてるようになって3年、母の痴呆の症状が出はじめ2年前が最後となりましたがいつも「お母さんと一緒に来たかったね」と思い出話をしながら楽しい時間を過ごせたようでよかったです。
    今はもうその時の記憶もないのですがたまに思い出したように「昔ちゃぁちゃん(祖母)と○○ちゃんたち(叔母)と三重に旅行に行って夫婦岩とか伊勢神社に行ってね、赤福食べてね・・・」と母の中では祖母と4人で行った記憶になっているようで嬉しそうに話しています。

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    たまたま伊勢神宮近くで子供のサッカー試合があって、空いた時間に立ち寄りました。朝早く、そしてあいにくの雨。天気予報どおり。なので人もまばらで。また違った趣きがありました。
    いつもは賑わっている赤福本店もシーンとした感じで、黄色の茶釜に赤福を置いて、ゆっくり眺める時間を持つことができました。時間と天気の偶然がもたらしてくれた素敵なプレゼントでした。周りのお店にも、道路にも、町にも、伊勢神宮と同じ空気が流れていました。
    今自分が座って、外を眺めている時間、人を人らしい豊かな時間を運んでくれる場所なんだなあというのが実感できました。ありがとうございました。

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    癌で闘病中の母と2人で3年前に伊勢神宮と鳥羽に行きました。ギリギリまで行き先を伝えずにサプライズの旅でした。
    真夏で闘病中の身体には神宮を歩いて回るのはキツかったと思いますが、とても喜んでくれました。御神馬を見て「お馬さんと目が合った~」と喜んでいた母の笑顔が忘れられません。
    思い出の写真はその時に撮った御神馬の写真です。翌年、母は亡くなりましたが最後まで嬉しそうに語っていました。コロナが収まったらご挨拶とお礼に再度伺いたいと思っています。
    母との素敵な思い出が出来ました。ありがとうございました。

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    はじめての子連れ旅行で、伊勢旅行最後に夫婦岩に向かう途中、疲れたけど夫と娘が前を歩く光景にほっこりし夫婦岩のように夫と子ども達と仲良く暮らしたいと思った。

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    娘がじいじばあばと初めて旅行に行ったのが伊勢でした。まだ小さかったのに、内宮を一人で歩いてびっくりし、成長を感じたのを覚えています。
    状況が落ち着いたらまた行こうねと話しているので、その日が来るのを楽しみにしています。

  • 伊勢と言えば、人生初の家族と離れてのお泊まりした小学校の修学旅行を思い出します。
    時は流れて、我が子も同じ行き先でした。その子も、大人になり家族で伊勢旅行に行き、お互いに泊まった旅館を見つけて、気持ちはタイムスリップし、思い出話に花が咲きました。
    時代は違っても、伊勢の地で得た楽しい思い出は、変わることなく親子の共通して持つことができた大切な宝物です。

  • 17年に及ぶ闘病生活の末、母が他界。仕事人間だった父が珍しく伊勢旅行を提案してきました。
    その旅行には、亡き母の写真を持ち歩き、観光名所を廻るたびに、写真に話しかけていたことを憶えています。後から知ったのですが、伊勢は両親の新婚旅行で訪れた思い出の場所だったのだとか。堅物な父が写真の母に話しかけていた姿が印象的でした。

  • まだまだ高速道路が整備されていないころ、山際の民家に咲いている夾竹桃の赤い花を見ながら、伊勢へ向かった夏。五十鈴川で手を洗い、玉砂利の上を小さな足が駆けて行った。家族で大きな庭を見ながら、食べたモチモチの伊勢うどん。
    あれから伊勢うどんは、食べているが、あの伊勢うどんの感動は無い。もう一度食べたい。

  • 私がまだ小さかった頃のうだるような暑い夏、祖父に手を取られながら買ってもらったきゅうり棒を片手におかげ横丁を歩いた記憶があります。どこか非日常めいた雰囲気の中、目にするすべてが珍しくてきらきらしていました。普段厳しい祖父もなんだか優しくて、特別な思い出として今でも覚えています。

  • 幼い頃、共働きで家に居ない両親の代わりに車を運転できない祖父母が特急に乗り、季節ごとに連れてきてくれました。
    私達が成人し年老いた祖父母の手を引いて一緒にお伊勢さん参りし、嬉し泣きしてくれた祖父母、良き思い出です。

  • 母とすすった伊勢うどん。あの濃いつゆと初めて味わうもっちりうどん。
    今は遠き昔、いつか嫁さんも一緒に行きたい。あのなんとも言えないもっちもちな太いうどんを教えてあげたいなぁ。

  • 伊勢と言えば子供の時に年に一度の父と母との家族旅行は毎年伊勢でした。車で伊勢まで行き子供ながら必ず寄るとこは水族館の横にある真珠のアクセサリーを買ってもらうのが楽しみで楽しみで仕方なかった。
    ピンクのハートの形をしたイヤリングは現在50歳になってもつけています。周りには子供の頃に買ってもらったものを今も付けてるとは、なかなか言いづらいですが綺麗に子供の時に買ってもらったままです。
    今でも伊勢に行くとあの時と変わらない風景は懐かしさと子供に返った気持ちが蘇ります。伊勢は私の家族の思い出です。

  • 「お世話になった人たちに配りたい物がある」老いた母が言うので、車椅子を押しておかげ横丁に足を踏み入れた。伊勢には時々訪れている。
    その都度必ず買う豚捨コロッケを啄んで、伊勢萬の店頭にて御神酒『おかげさま』を配送手配する。老眼鏡を上げ下げして携帯の住所録をぽちぽちと探る母の白髪に、私は斜陽を見た。
    「お母さん、」初めてそう呼んでみる。
    「真珠は買わないの?」母は一拍遅れて顔を上げた。
    「燃えないから、いいわ」コロッケを食べてお酒を買って、母との最後の伊勢旅行は随分つましいものだった。
    後日遺された真珠を着け、葬送に立つ。焼き場に立ち上る煙は、少しおいしい匂いがした。

  • 父の故郷の伊勢。
    祖父母が他界してからの数年、私一人で、何度か訪れ、残された祖父母宅に宿泊しながら、伊勢市内を徒歩で巡り、2週間、過ごしました。
    街の情景、街に漂う香り、夕焼け小焼けのメロディー。地元の人達からいただいた温かい心。
    心身ともに調子を崩し、落ち込みがちな私の心を癒し、思いやり、温かい笑顔、ゆったりと穏やかに過ごす事、ひとつひとつの物に愛着を持つ事の大切さ、暮らしにいっぱいときめきがある事に気付かせてくれた伊勢。
    気付かせてくれた事と感謝の気持ちを心に抱き、これから過ごし、生きていきます。
    ありがとう、伊勢。

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    今年の2月にコロナ感染した娘に伊勢神宮のお守りを持たせて、無事生還した娘が伊勢神宮行きたいと行ったので2人で行った時五十鈴川でのんびりして帰ろうとしたら、聞き覚えのある声が‥。
    離婚した旦那のお母さん【義母】が偶然友達と来てました。
    10数年ぶりのおばあちゃんと再会し涙涙。
    会いたかったとおばあちゃん。なかなか連絡も取れず疎遠になりましたが、神様が会わしてくれたのでしょう。
    おかげ横丁の裏手でパシャリ。

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    数年前、祖母、母、弟と私で祖母の希望の伊勢神宮にお参りに行きました。歩くのが大変だった祖母は車椅子を借りることが出来、念願の伊勢神宮にお参りが出来、おかげ横丁で美味しいものを食べ、何よりも、あまり会わない弟に車椅子を押してもらえた事に、祖母が楽しそうだった記憶しかありません。
    もう祖母は亡くなってしまいましたが、今度は、母が行きたい。と言っています。私も弟も結婚して家を出ていますが、また、今度は家族皆で行きたいと思います。

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    私が小学生のときの修学旅行が伊勢でした。二見浦のすぐそばに泊まっていて、朝早くにお参りした記憶があります。
    娘が生まれてからその思い出を辿りたくなり、家族3人で二見浦はもちろん、伊勢神宮、スペイン村をまわり、また新たな思い出が出来ました。
    その後、息子が生まれて、また家族4人になってから再び伊勢に。二見浦、伊勢神宮、鳥羽水族館やイルカ島に行きました。
    いつもそこにあって、懐かしさもあり訪れる度に新しい発見もあります。
    私にとっての伊勢は、ただいまと言いたくなる場所です。

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    11月14日に伊勢湾フェリーに乗って実家の両親と祖母を誘い伊勢神宮へ行ってきました。80を超えている祖母は足腰が弱く前日まで行くのを辞めておこうかと思っていたそうです。
    それでもせっかくだからとみんなで行くことにしました。下宮、内宮を祖母の手を取りゆっくりと歩き参拝しました。風もなく穏やかに晴れた日で旅行日和でした。
    祖母は全く疲れた様子を見せず歩いて参拝出来たことに感激し何度もありがとうありがとうと言ってくれました。両親も孫と出掛けれて喜んでいてみんなが幸せな気持ちになれた伊勢神宮でした。神様に感謝です。

  • 吹き荒ぶ風の強さと寒さの中で見た夫婦岩は、本当に寒すぎて家族全員笑顔なしでした。なぜか緊張感でいっぱいだった伊勢神宮は、歩く距離の長さに驚きながらも荘厳な雰囲気に圧倒されましたが、こどもが御手洗川で遊ぼうとするのを必死で抱きかかえて確保していました。
    お参りの後はおかげ横丁ではおいしい鮪のづけと鰻、赤福を頬ばる嬉しそうなこどもの笑顔…。
    あぁ、それはもう20年前こどもがいっしょの初めての遠出の家族旅行でした。遠出で疲れているはずなのに、本当に何もかもが楽しくて今でもはっきり覚えています。きっと伊勢は変わらずまた私達を迎えてくれるはず!待っててね!

  • 伊勢神宮に私の家族でツアーで行った時でした。暫く会ってない父が亡くなってからでしたので落ち込んでいたのですが、バスを降りて外宮に向かおうとした時に急に雨が私の所辺りに降ってきたのです。ビックリしました。先にそのまま進んで行くと雨も止んで内宮も参拝出来ました。
    ずっとモヤモヤしている私に父が会いに来たように感じました。思い出すと、とても不思議でいつまでも心に残っている思い出です。伊勢神宮に又機会がありましたら行ってみたいと思います。そしたら又父が雨を降らせるかもしれませんね(笑)

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    数年前に次男が大学院を卒業し、家を離れ自立する前に家族で旅行しようと既に独立していた長男も呼び寄せてお伊勢参りへ出かけた。
    家族揃ってドライブ旅行をするのは十数年ぶりで、当時は私一人で運転したものだが、長男、次男、私と3人交代で快適な旅を満喫した。
    車内では昔と同じく妻がオヤツを出すとあっという間に消えてなくなり誰が食べ過ぎかと大笑い。お伊勢参りでは外宮、内宮とお参りさせて頂き彼らは何をお願いしたのか分かりませんが無事、2人とも結婚が決まり親としては一安心。次は息子達家族も一緒にお参りさせて頂きます。

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    わたしが幼い頃、小学生の頃今は亡き祖父と2人で二階建ての電車で賢島に行ったのが、今でも楽しかった思い出が蘇ります。
    次に3年前ですが、再婚した主人とその時はまだ結婚してなかったですが、近鉄電車で伊勢に行きました。行きしなの電車でチューハイ飲みながらワイワイ行き、着いてからは伊勢神宮行って赤福で赤福氷ずーっと食べたかったやつ食べたり、ホテルでは伊勢の美味しいご飯のバイキング楽しんだりと楽しい思い出ばかりで、三重県大好きでまた行きたいです。

  • 令和最初の日の出を拝み、名物赤福餅を手土産にと思い、名古屋の実家へ電話。寝込む事がおおくなった母に赤福餅は?と聞くと要らないとの事。とはいえ、私も食べたいので購入。
    実家へつくと、足の悪い母に頼まれ買い物に行き、小一時間ほどで帰宅すると、赤福餅が残り2個になっていたので、帰宅していた弟に食べ過ぎだというと、食べていないと。母だった。それが、母との思い出の最後になった。
    その後のコロナ禍、伊勢の神々が最後に笑い話になる思い出をくださったのではと今は、そうおもう。

  • 「お伊勢様に行きたか」五年前の秋、おばに頼まれた。足腰達者とはいえ八十八歳。長崎県の片田舎から飛行機など交通機関を乗り継ぎ、ほぼ一日かけて三重県へ到着した。
    一泊し、翌朝伊勢神宮を参詣。おばは内宮・外宮とも驚くほどの健脚で歩き回り、熱心にお参りした。「ああ、色々旅してきたけど、お伊勢様で締めくくれて幸せばい。ありがとう」おかげ横丁で、伊勢うどんと赤福を平らげ、満面の笑みを見せたおば。
    「何が最後ね。また旅行しよう」だが翌年、おばは脳梗塞で倒れて施設へ入所。たしかに最後となった伊勢旅行。車いすで当時の写真を眺めては、嬉しそうに笑うおばである。

  • 津市で暮らしていた頃、気がかりだったのは愛知県に住む60代の母だった。乳癌が転移したせいか、気力も落ち込み外に出なくなっていた。どうしたら外に連れ出せるか。妹と弟と相談して誘ったのが伊勢神宮だった。
    青空の下、五十鈴川に着いたら3歳の息子は大はしゃぎ。魚を探したり、落ち葉を拾ったり。それを見つめていた母の顔が忘れられない。
    「気をつけや~よ」と目を細めながら孫の手を握る母。帰り際「きょうはありがとう。元気出たわ。あんたらも元気にやりゃ~よ」と母が言った。
    あれから12年。大きな手術はしたが母は健在だ。それもこれもあの時の神宮参拝のお陰だと私は今も思っている。

  • 私の初めての一人旅は、伊勢でした。
    シングルマザーとして、息子を育て上げたご褒美旅に伊勢を選んだのは、息子が成人し、子育てが一段落した節目と伊勢神宮の20年に1度の式年遷宮が、私の中でシンクロしたからです。
    20年間、子育てと仕事に追われて過ごした私を、お伊勢さんは、とても温かく、穏やかに迎えてくれたこと、今でも思い出すと、目頭が熱くなります。

  • 日本でも特別なパワースポットと聞いて、気合が入ります。一年のお礼と、来る一年のお願いに、はせ参じる心構えです。
    癌の闘病中に、病状が良い方向に傾いた時に、未だとばかり、三組の家族でお参りしたのも、お伊勢さんでした。母親を囲んで、寄り道と休憩を繰り返しながら、時間をかけて、じっくりと堪能しました。
    母親は亡くなりましたが、病院でもお伊勢さんの話を楽しくしていました。体調的にも大変な思いをしての旅行だったと思うのですが、残される者たちにも、思い出話が出来るように、機会を作ってくれました。

友達の絆

  • 社会人になって数年経った頃、女子大の同級生3人で伊勢神宮へ行きました。雨が降っていましたが、静かな景色を見ながら歩いて、お参りをして、休憩しながら近況を話して、「なんか元気出たよね」と言いながら、おかげ横丁で食べ歩きをしました。朝会った時より帰りの方が笑顔いっぱいで、また必ず3人で来ようと思いました。

  • 18歳まで南伊勢町に住んでました。七五三で初めて伊勢神宮に行き、こんな大きな神社があるんだと子供心に思いました。初めての花火大会も父に連れられ宮川の辺りで見ました。
    やがて中学生になり、友達とバスに乗って伊勢まで映画見に行ったり、ライブ行ったり当時の私には今の東京に匹敵するくらい伊勢がキラキラした街でした。帰りに食べた七越ぱんじゅうの美味しさは、世の中で1番だと思っていました。
    結婚して奈良に住むようになっても1年に1回は伊勢神宮に参拝します。伊勢市駅におり外宮まで歩く道のりは昔の楽しかった事を思い出す青春ロードになってます。

  • 小学校の修学旅行で初めて伊勢に来て以来志摩観光も含めて15-6回ほどは来ていると思います。神が宿る伊勢神宮は荘厳で、うっそうと茂る木々、踏みしめる砂利の音、五十鈴川の澄んだ水等すべて絵になります。いつ来ても厳粛な気持ちにさせられ初心に帰って真面目に励めと諭されているような気がします。心安らかでない時頼りになる存在です。

  • 学生時代に、部活の試合のために伊勢に行きました。初めてのフェリーに乗って行きました。
    緊張していた私たちを試合前日に先生が気分をほぐすためにか、伊勢神宮に参拝に連れて行ってくれました。なんか、その当時、空気が澄みきっていて森の中にいるような感覚になったのを覚えています。
    またいつか、時間ができたときに家族で参拝したいです。赤福をおみやに。

  • 今から二十数年前、親友の葉子が結婚し、東京しか知らない彼女が伊勢にお引越しをした。きっと寂しいだろうからと友人4人を引き連れて彼女に会いに行った。
    顔を見たとたんに涙が出た。新天地でがんばって生活しているのが伝わってきた。伊勢神宮、ミキモト真珠島などを案内してくれ、赤福を食べながら、地元の優しい人達に囲まれて生活している彼女の話を聞き、成長した彼女を誇らしく思ったことを昨日のように覚えている。

  • 私の小学校の修学旅行はお伊勢さんでした。お小遣いを家族の好きな赤福餅で使い、自分の物は何も買いませんでした。息子も修学旅行はお伊勢さん。シングルマザーの私にお小遣いで模造真珠の指輪と赤福餅を買って来て、自分の物は何も買わずでした。そういった家族を思う優しい気持ちを培ってくれる場所の気がします。模造真珠の指輪は今も大切に取ってあります。

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    初めて伊勢神宮を訪れたのは大学生の時。友人から「伊勢神宮は神様へお願いする所ではなく、感謝をする所だ」と言われ、最初はピンときませんでした。
    しかし、時が経つにつれ多くの人の支えに気付き、「感謝」の意味が分かるようになりました。それからというもの、一年の無事に感謝するため、毎年年末に伊勢神宮へお礼参りをしています。
    「伊勢神宮とはなにか」教えてくれた友人、そして他にはない清らかで荘厳な空気感で温かく見守ってくださる伊勢神宮、本当にありがとうございます!

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    昨年伊勢市の宿泊施設に対して、宿泊代を先払いし新型コロナ感染が収まってから宿泊を行うという支援策「伊勢みらいチケット」の募集があった際、その対象宿泊施設一覧の「二見大石屋」という名前が目にとまりました。
    それは50年前、大阪の小学校から伊勢へ修学旅行に行った時に泊まった旅館だったという記憶が突然懐かしく蘇り、思わず応募をしました。
    今年11月に半世紀ぶりに宿泊をしましたが、バリアフリー化された館内で従業員の方の対応や海の幸一杯の夕食も非常に良く、懐かしい記憶が縁で素敵な時間を過ごすことが出来ました。

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    学生時代に始めた弓道で各地方の予選を勝ち抜いた大学だけが出場できる『王座戦』。伊勢神宮弓道場で開催されるこの大会のために雨の日も雪の日も負けずに4年間精進してきた。伊勢は汗と涙の先にある聖地に他ならない。こうして北海道予選を勝ち抜いてはるばるやってきた我々を、神宮はその荘厳な佇まいで神々しく出迎えてくれた。
    あれからも数年おきに訪れるが、その度、神宮が近付くにつれて伊勢に来れた感謝の念、ワクワク感、そして畏怖の念が交わる何とも言えない高揚感が今でも私を包み込む。

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    小学生の修学旅行で伊勢に行きました。朝早く起きて、眠い目擦りながら、夫婦岩から見える朝日を皆で見に行きました。澄んだ空気の中、昇っていく朝日がとても綺麗で、小学生ながら感動したのを今でも覚えています。
    また、お土産で真珠のネックレスを買いました。小学生でも買えるくらいのワンコインの安いものでしたが、当時は大人の女性になった気分になり、どこに行く時も付けていました。
    伊勢は修学旅行以来行っていませんが、夫婦岩は良縁のパワースポットなので、コロナが落ち着いたら良縁祈願しに行きたいと思います。

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    小学校の修学旅行で初めて訪れました。その後、バイクの免許を取って1人でツーリング、車の免許を取って友人とドライブ、祖母・両親とお参り、妻と結婚前に夫婦岩に御祈願、今はこのカエルのように、今週辺り子宝に恵まれそうです。次回は息子を連れて訪れたいです。

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    「伊勢神宮いかん?」社会人1年目、会社に馴染めなかった私に先輩方が誘ってくれたのは秋になった頃でした。はじめての遠出、とてもどきどきしたのを覚えています。
    おかげ横丁で写真をとって伊勢神宮を参拝しました。横一列先輩方と並んで「職場になじめますように。」と念入りにお参りしました。帰りに屋台でいちご大福を買って車の中で食べて、「粉めっちゃ落ちてるで~。」なんて笑われたりして、私の中で今でも思い出す青春です。
    今、その時から7年が経ち私が後輩を育てる立場になりました。あの頃の気持ちを忘れずに、先輩方に頂いた優しさを次は私が引き継いでいます。

カップルの絆

  • 彼氏と付き合っていた時、二人の未来を悩んで一人で夫婦岩に行きました。夫婦岩をしばらく眺めていたら急に彼氏の声が聞きたくなり電話しました。
    今のこと、二人のこと、この先の未来のこと、たくさん話してなんだか気持ちが落ち着き、名古屋に帰ると駅で彼氏が待っててくれました。ああ、この人とずっと一緒にいたいなと思え結婚するきっかけをくれたのは夫婦岩でした

  • 初めての彼氏とのデートが伊勢でした。前もって伊勢の観光地やデートスポットを調べてくれて、色んな場所を巡り、美味しいものを食べることが出来ました!そんな彼とは来年入籍します。新婚旅行は思い出の伊勢に決めました!また思い出巡りを楽しみたいです!

  • 学生の頃、片想いの相手と1月の伊勢神宮を訪れました。冷たい空気が神聖な神宮によく合い、その場にいるだけで身を清められているような不思議な雰囲気でした。
    人混みで立ち止まることもしばしばでしたが、いつもより近い距離に少しドキドキしながら「もう少しこの時間が続きますように」そんなふうに思いました。

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    2018年にお付き合い開始した彼とすぐ三重県と千葉県との遠距離恋愛になりました。東京から三重県志摩に転勤した彼と会うため伊勢神宮周辺を2度来訪し旅行しました。夫婦岩に一緒に行って蛙のお守りを購入しました。その後転勤が終え東京に戻ってきた彼と2021年11月結婚式をあげました。

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    伊勢に住む遠距離の彼に会いに来ました。コロナもあって来たくても会いたくても来れなかった場所にようやく来れた。
    最後に行った夫婦岩。心の中でお願いした事はいつかずっと伊勢で仲良く暮らせますように。
    どんどん増えていく行きたい場所リストをクリアしていく事が今の楽しみです。

伊勢人との絆

  • 伊勢を初訪問したのは2012年。伊勢の空気に触れた時、呼吸をする事を思い出しました。心に残っているのは「月読宮」での事です。
    敷地内に榊の木があり、宮司さんに「落葉した葉を1枚頂けますか」と伺いました。宮司さんは「ええ」と頷かれた後「でもその葉は持ち帰られても、全ての物は神様の物なんですよ」とお話して下さったのです。
    私はハッとして、葉を持ち帰ることはやめ、さらに「この世の全ての物は神様の物」と思えるようになった事で、気持ちが楽になりました。
    伊勢市の駅に着くといつも「ただいま」という気持ちになります。心のふるさとを持つ事ができ、今はとても幸せです。

  • 伊勢検定で10年間、伊勢に通いました。なかなか難しくて、上級1つ残してコロナ渦で断念。
    ある雨の日、古市を勉強の為歩いていた時、資料館の係の方と近所の方の3人で、伊勢の話に花が咲き、4時間雨が上がるまでの一時がとても楽しかったです。
    今も、元気でいらっしゃるのでしょうか…。また、お逢いしたいです。

  • 憧れだった伊勢のお陰様参りに出かけました。タクシーでは家族連れの優しい人達に相乗りを薦められ助けられました。「良いことが巡りますように。」と優しい言葉がけも頂きました。外宮から内宮を参拝して、常日頃の感謝、家族も私も生かされているこの時に感謝を神様達に伝えました。
    すると清い爽やかな風と空気の中で清々しい気持ちになれました。五十鈴川で手を洗うと日頃の俗世の垢が流されていくような気持ちになりました。内宮で手を合わせた瞬間、初心で無理なく頑張ろう!生かされている事に感謝だな。と強く思いました。伊勢は清い風が吹き抜ける心の故郷ですね、癒やされました。

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    昨年10月、2日かけて早朝の伊勢神宮様を参拝させて頂きました。静寂の中、玉砂利を踏む音が心地よく響き、徐々に朝陽が溢れてくる瞬間は息を呑むほど美しい景色でした。そして、おかげ横丁では素敵なお土産品を購入したり、様々な飲食も楽しませて頂きました。夫も娘も「また近いうちに伊勢へ行きたいね」よく会話に出てきます。魅力溢れる伊勢へ、また是非行きたいと思っています!

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    外宮と内宮を訪れ、豊かな自然のなかで凛とした空気を感じながら、お参りをしました。ゆっくりと隅から隅まで歩き、気がつくと6時間、本当にすばらしい時間でした。日本が神の国と言われる所以を、カラダもココロも感じ、学ぶことができました。そして歩き疲れて喉が渇いたあとのおかげ町の伊勢角屋麦酒のビール、五十鈴川のほとりで飲んで最高でした!

  • もう一つの伊勢の楽しみ方は、神宮林の境界を歩くこと。鼓ヶ岳~鷲嶺~竜ヶ峠~八禰宜山~剣峠~京路山~天の岩戸~朝熊ヶ岳~内宮。歩くたびに再発見がある。
    【自然】静寂の中、突然姿を現す鹿や猪、猿の群れ。心を和ませてくれる椎、樫、椿。
    【歴史】参詣道、町石地蔵、山・峠の由来、石碑等々。
    【人情】竜ヶ峠や朝熊ヶ岳の登山道で出逢う整備ボランティアの方々の苦労話からも、神宮伊勢を守る人々の人情に触れることができる。
    いつも無事に下山した後は、神宮参詣やお店を訪れる。もう一つの伊勢の顔を見ることができた達成感と充実感に浸りながら・・・。

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    娘が産まれてから初めての旅行が伊勢でした。
    私はこの旅行で初めて民宿に泊まりました。娘が小さいので迷惑をかけるのではないかと心配していましたが、宿の方の心優しいお気遣いに触れゆっくりと日常を忘れて過ごせました。
    この旅行が2020年の2月。この年からコロナウイルスが流行してしまい娘もまだ小さいので旅行していません。また家族旅行するなら行き先は伊勢と決めています。宿の皆様お元気でしょうか?

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    コロナ禍、齢90を越える祖父が、「伊勢に行きたいなぁ。死ぬまでには無理かなぁ」と、ぽつり。
    そこで、家族がワクチンを打ったあとに、祖父母を1泊で伊勢に連れていってあげることに。おかげ横丁や朝熊山を回り、普段足が痛いという祖父母も、朝熊山展望台に登り、伊勢の海を目に焼き付けていました。
    旅館では、嬉しそうに「またここに来られるとは思ってなかった。最高の死に土産や。」と、夜遅くまで語り合っていました。孫として、少しは恩返しできたかなと思います。
    旅館のスタッフさん、お店の方、シルバーカーをお手伝い下さった皆さんに心から感謝いたします。

  • 溜まり醤油に鰹出汁のきいたツルとしたおうどん、もっちりとした赤福、キラキラした海辺で獲れる海産物。伊勢には美味しいものが沢山ある。
    けどね、珈琲しか注文していないのに貰うた羊羹食べぃという珈琲屋の爺ちゃん。まだ買い物していないのにこれお好み焼きに入れたらいいわと海苔や鰹ぶしを袋に入れて持してくれる乾物屋のおばちゃん。
    真珠を見によるとみかんを袋に入れてくれる真珠屋のおっちゃん。珈琲屋の婆ちゃんなんか真珠までくれた。
    ええのええの遠い所来てくれたもんで持って帰りぃなぁ。心の宝箱には情の厚い人の良すぎる伊勢人がいっぱいいる。そんな人に会いに行くのが私の伊勢旅。

  • その日は雨でした。
    悪天候の平日、私以外に泊まる人はいるのだろうかと思いつつ夕食に行くと、一人の女性と出会いました。
    聞くと地元の方でここの料理を食べたくてこの宿に訪れたとの事。
    おすすめのお土産やお店を聞くと「ねぇ、どこがいいかな若女将」と若女将に相談。
    段々盛り上がってくる二人。必死でメモを取る私。
    食べ終わってもしばらく三人で話が尽きず「あぁ、人の少ない時でもこんな楽しみがあるのか」という新しい発見と、また何度も伊勢に訪れる楽しみが増えた一日でした。

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    昨年亡くなった祖父と最後に一緒に旅行したのが伊勢でした。その当時私が婚約中だったので家族皆で夫婦岩を見に行きました。そして先日結婚記念日だったので夫と夫婦岩を見る為に祖父との旅行ぶりに伊勢に宿泊しました。
    その時宿泊した宿の方が帰り際に「また元気な顔を見せに伊勢来て下さいね。」と言って下さったのですが、その時の笑顔と声がすごく祖父に似てる方で、祖父からの伝言のように思えて再会出来たような気持ちになり、帰り道涙が止まりませんでした。また元気に伊勢に行きたいです。

  • 母と二見ヶ浦を訪れた時、鈴木翠松軒を見つけ私達はくうや勘助餅の存在を初めて知りました。
    もちもちだけど粒感の残ったお餅と優しい甘さのこし餡がとても美味しくて感動しました。いつか自分の結婚式を行う日が来たら何らかの形で取り入れたいなとぼんやり思いました。
    それから何年か経ち結婚が決まり結婚式をすることになりました。プチギフトとして、関東では馴染みはないけれど紅白のくうや勘助餅を選びました。お店の方々はとても親切に丁寧に対応して下さいました。
    夫婦岩の近くの名物であるくうや勘助餅効果か、今も夫婦仲良く過ごしています。

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    伊勢神宮に参拝に行った頃の私は、人生に疲れを感じていた時期でした。最初に外宮の境内に入ったとたんに、それまで重く苦しかった気持ちが急に楽になり、しだいに気分が穏やかになってきたのでした。
    外宮と内宮を参拝した後、倭姫宮に参拝に行こうとしたさい、いつものように道に迷ってしまいました。そこで道をゆくおじいさんに道を尋ねましたら、元は伊勢神宮に奉職していた神職さんだったとのことで、一緒に参拝することになりました。
    いろいろなお話のなかで、「あなたはあなたの道を行けばよいのです」といわれ、私はまさに神さまからのメッセージだと思い、今もその言葉を大事に生きています。

伊勢の引力

  • 毎年、節分明けに伊勢にお参りに行ってます。二見ヶ浦でお札を入れてもらい毎日朝日が当たる様に、そして月読宮、外宮、猿田彦、内宮、倭姫と回り愛知県に帰って来ます。
    伊勢うどんはぎゅうとらで毎年買い、塩は二見の自然の塩を買って、内宮外宮で角祓のお札お守りを買い帰って来ます。お参りに行き始め20年になります。
    猿田彦さんはご祈祷も毎年して頂いております。とても寒い時期のお参りですが、毎年気持ちよくまた一年過ぎたのだと実感しています。
    年々家族が増え幸せな日々を過ごして行けるのも、神々様のお陰だと思う今日この頃です?

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    2020年10月、神奈川県から愛車も一緒にフェリーに乗って、童心に帰り冒険気分。
    五十鈴川の水面を走る風が心地良く、マイナスイオンもたっぷり浴びて心も体もリフレッシュ!
    たくさん癒されて、また頑張るぞ!と元気をもらいました。

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    1993年12月、勤務していたはとバスガイド時代、3年目同期達と2~3泊で伊勢鳥羽研修時に初めて伊勢の地を踏み、二見ヶ浦夫婦岩を見学した時のものです。丁度、式年遷宮が行われている時でした。
    研修後、何度か伊勢鳥羽をご案内させていただき、勤務丸5年の1996年3月に体調不良にて退職後、再び伊勢の地を踏むご縁は中々なかったのですが、2013年の式年遷宮の年にご縁があって20年ぶりに1泊で伊勢鳥羽を訪ねました。
    外宮・内宮・夫婦岩…。とても懐かしかったです。

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    お伊勢さん巡りは急病などで何度もキャンセルしていたので、すごく悔しい思いをしてきた。その分やっと辿り着けた時の気持ちは本当に晴れ晴れとしていた。朝6時台からまだ開いていないおかげ横丁を横切り、人気の少ない伊勢神宮の清らかな空気を胸いっぱいに吸い込んだ時、本当に来ることができたんだと目が潤んだことを昨日のように覚えている。
    それまで悔しい思いをしたことも、今日のこの感動を深くするためのものだったのだと思うとそれさえも愛おしく感じた。こうして書きながら思った、また私の心の故郷、伊勢に戻りたいなと。必要な時にまたきっと呼んでもらえると信じている。

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    仕事の人間関係も婚活も上手くいかず、落ち込んでいましたが、伊勢に行きたくなり同じ目標を持つ仲良しの先輩と伊勢の神様に会いにいきました。
    気持ちが前向きになり、背中を押してくれる温かい伊勢神宮。しばらくすると私にも先輩にもご縁があり、仕事の人間関係も解決しました。が、コロナ禍で私の結婚式は、2度延期。追い討ちをかけるかのように参加できるはずだった祖父も亡くなり。悲しかったのを覚えています。
    前向きになりたくて、今の主人と伊勢神宮にお参りをしました。そして、願いが叶い今年の3月に無事に結婚式を挙げることが出来ました。何度も願いを叶えてくれる伊勢神宮。

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    色々な悩みがあり、47才にして初めての一人旅に。前から行ってみてたいと思っていた伊勢を選びました。
    まずは伊勢神宮に参拝しました。初めてでしたが、神聖な雰囲気、壮大な自然にパワーをもらいました。また、御朱印帳を買い求め、外宮、内宮で御朱印をもらいました。参拝後は、おかげ横丁に。伊勢うどんと赤福をいただき、満腹に。その後、ミキモト美術館をゆっくり見学。
    自分のことが後回しの日々でしたが、自分を癒す事のできたステキな1日になりました。もう一度、家族や友達と行きたい思い出深い場所です。

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    大好きな伊勢をパッチワークキルトで作りました。

  • 同じ苗字で産まれたからには一度は訪れたいと思い、学生時代に伊勢へ行きました。伊勢神宮の大自然今でも記憶に残っています。
    ただその頃は学生の貧乏旅行だったため、美味しいものも食べられず…。
    大人になった今、再び訪れ美味しい三重の食事を堪能してみたいです!

  • 伊勢神宮内宮さん、何度行っても心洗われます。宇治橋を渡って始まる玉砂利、大きくそびえ立つ杉の木、御手洗場の清らかに流れる漣。夏でもひんやり冷たい空気、冬でも背中を丸めることのできない厳かな気持ちになります。拝殿では無になり、感謝し、あ~次はいつお参りに来れるんだろうと後ろ髪をひかれながら最後の鳥居をくぐり抜けお辞儀をします。
    私の心のふるさとはココ!!

  • 初めての社員旅行が伊勢志摩でした。小学校の修学旅行が伊勢志摩だった方が多いらしく「私3回目」「私は4回目」と何かと話してました。何度も行くほどに楽しいのかと期待大で出発しました。伊勢志摩スカイラインでは景色に見惚れて、何じゃこりゃと伊勢うどんには驚き、海の香りに癒されて、とても満足な旅行でした。
    次に行くときは「私は5回目」になります。

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    就職活動で第一志望の会社に落ちたことで何もかもがどうでも良くなってしまい、少しの間家にこもる生活が続いていました。ある日そんな様子を見兼ねた母が伊勢神宮に連れていってくれました。参道ゆっくり歩いて本殿に着き、伊勢神宮の澄んだ空気に触れながら参拝をすると、今まで落ち込んで気持ちが嘘だったかのようにすっと消えてなくなりました。
    それから前向きに就職活動に取り組むことで、無事に納得する就職先に内定が決まりました。これからも悩んだり落ち込んだりしたときには伊勢神宮を訪れようと思います。

  • 伊勢に初めて友人と旅したのは10年以上前のこと。人の気配のない早朝の伊勢神宮では、その荘厳さを体全体で感じることができました。心に残るいい旅です。その時撮った神宮の写真を弟嫁に送ったところ、彼女は大事に持っていて、私の父が心臓弁膜症で意識不明になった時、待ち受け画面にして快復を祈ってくれました。私たち姉弟がもうダメだろうと諦めていた父は、その後意識を取り戻し元気になりました。
    待ち受けにして祈ったことと父の快復はただの偶然かもしれませんが、その時の義妹の気持ちが有難く、伊勢を思う時、いつもそれら全てが一つになって思い出されるのです。

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